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[転載]サスケネ!人生は「さすけね」

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サスケネ!

宮司は、NTTグループの皆さまの生活を応援する情報誌を読んでいて・・・生れて初めて「さすけね」という言霊(ことだま)に出会って感動した。

何だか・・・これから何度も使ってみたい言葉です・・

いや・・これからの宮司の人生は「さすけね」で生きて行きたくなった。



「さすけね」・・・・さしつかえない・・・大丈夫・・・大丈夫・・・大丈夫・・どうにかなる・・どんまい・・どんまい・・・ケンチャナイ・・・心配いらないから・・・」と

自分に言い聞かせ

そして・・神社に来られる人で

心配そうな・・「あなたこなたの人たち」にも

「さすけね・・さすけね」とつぶやいて行きます

田部井淳子ら日本の女子登山隊が

初のエベレスト登頂

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人生は「さすけね」


        田部井淳子(登山家)

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人生は「さすけね」

登山家 田部井淳子さん

人生の大半を「さすけね」で生きてきた。

「さすけね」福島弁で「さしつかえない」の意で、

例えば人が何かを失敗をしでかした時「大丈夫、大丈夫」とか

「気にしない、気にしない」というニュアンスで使われる。

失敗した本人はそれを聞いて、

標準語で「大丈夫だよ」言われるよりホッとし、周りの空気がなごむ。

田部井淳子さん(72歳)。
1975年、女性として世界ではじめてエベレスト登頂を果たし、1992年には世界七大陸の最高峰登頂を成し遂げる。各国の最高峰への登頂の数は約60。その数は今も増え続けている。

 子供の頃から山が好きだった。
「山に登ると頂上から、いろいろな山が見えますね。あそこも行ってない、こっちも 登ったことがない」登っても登ってもつきない山々。山は山のようにある。
年間で海外の山に100日、国内は40日~50日。
それがここ数年のペース。去年の震災で東北応援活動に費やす時間も増えた。
「新しい風景に出会うこと。奨めますよ」

 山に値段がついている、という。
登山料。山の標高によって値段が異なる。
まさに“一山いくら”である。

 装備、食糧、山のある国に行く航空運賃。
現地でシェルパ(山案内人)、ポーター(荷物を運ぶ人)等への支払い。
登る山によっては膨大な費用がかかる。

 そこでスポンサー探しになるのだが、
「エベレスト以外はすべて自費で行きましたね」

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2009年9月インドのジャガツスク5,332mにて

 「山が汚れてきた。登山者の手できれいにしなければいけない」
約20年前、登山家のエドモンド・ヒラリー卿がヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT)を立ちあげ、その日本代表に田部井さんが指名された。
1970年代は1シーズン1チームしか入れなかったエベレストが1980年半ばから何チームでも入ってよいとなり、たくさんの人がベースキャンプですごすようになり、ゴミも増えていったという。
田部井さんは日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)代表として、ゴミ持ち帰り(テイクイン・テイクアウト)の啓発活動、青少年環境体験登山をはじめ、ネパールのエベレストの玄関口となるルクラに焼却炉を置き、周辺にリンゴの植樹を行なっている。昨年の震災後は、HAT-Jの中に東北応援プロジェクトを立ち上げ、東北の山へ行こうという呼びかけと被災者とのハイキングを毎月実施している。

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テレビのロケで北アルプスを23日間縦走 2009年夏

 非常に多作な人。
最近(2011年発売)の著書「人生は8合目からがおもしろい」までに十数冊を著している。それ以外に“田部井さん”を書いたルポルタージュもあれば、対談を収めたもの、更に登山報告書もある。
14、5冊を読んだだろうか。
知らず惹き込まれて読んでしまった、というのが本音である。
さすがにそれだけ出していれば、幾つかのエピソードが重複しているところがある。
ところが同じエピソードでも内容が微妙に違う。
ある本を読み、あるエピソードについて理解したつもりでいると、別な本では新しい事柄やニュアンスが加わり、厚みを増していくということを今回の読書の中で感じた。
ご本人にお聞きすると、
「意識したことないですね。その時々思ったことを書いているだけなんですけど」

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自宅書斎の使い慣れたデスク
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愛用の眼鏡たち

 田部井さんといえば、山にばかり行っているような印象を受けるが「エプロンはずして夢の山」「エベレストママさん」と本のタイトルにあるように“家庭”をとても大切にしてきた。
「家事ときどき山、ですね」

 読んでいるうちに気付いたのは、田部井さんは隠すことを嫌う。
自分のイメージダウンにつながることであっても幾つもの著書の中で再三にわたって、そのことを書いていく。
本文でもふれたが、長男が高校時代に荒れ、自宅謹慎と停学を繰り返すなどしていた頃でも、テレビ番組に息子と一緒に出演し、行儀の悪い様をそのまま撮ってもらっている。
「ああいう息子さんがいることを、よく隠さなかったですね」などと言われている。

“隠さない”ということでは、その最たるものが「アンナプルナ・女の戦い7577m」(女子登攀クラブ著)登山隊が残す多くの報告書は登山行で起こった揉め事、いさかいについてはそぎ落とし、体裁のよい報告書に仕上げているのが現状。
この「アンナプルナ」は本の形をとった報告書とでもいうべきもので、副題に「女の戦い」とあるように、まさに登山、登頂を巡って繰り広げられる“女の戦い”そのものが克明に記されている。
編集方針として、そうした登頂まで続いた揉め事の一切を隠すのはよそう。すべてを曝け出そう。
そう決めたという。

 そうした潔さが、周囲に人を集め、信頼を得ている人柄につながっているようだ。
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自宅の庭で

 小さなことなのだが、田部井さんが日常、どう人と接しているかがよく解ったエピソード。
インタビューを進める中、エベレスト登頂についてお伺いしていた時、
「エベレストは最終が第5キャンプでしたね?」
言った瞬間、間違いに気付いたが、遅かった。
「そうですね」
間をおかず田部井さんがそう答えていたからだ。
“第5”でなく“第6”が正しいのに。
田部井さんにとっては忘れようもない“第6キャンプ”
その後もキャンプを上にあげていく話が続き、
田部井さんは話す中でさりげなく、私の間違いを正す。
「・・・しながら、キャンプを第4、第5、第6と上げていきますよね」
その“第6”のところだけ異常に素早く、ゴニョゴニョという感じで通り過ぎた。
人に対しては、非常に細やかな気配りをする人だった。


(文章と写真はNTTグループ株式会社テルウェル・ライフアシスト・・・さんからお借りしました。)

田部井淳子さんの横顔

女性で初めてエレベストに登った登山家です

今でも一年に3~4回海外登山に出かけ、

他に、山岳環境保護団体、

日本ヒマラヤアドベンチャートラストの代表として活躍されています。

普段は主婦としての一面を持ちながら

全国を講演して回るという多忙な毎日です。

だから、いつも早足、手際好く家事をこなし、

階段は駆け上がるために、

フレアースカートをはいているそうです。

田部井さんの行動の原動力は、

世の中には自分の知らない想像もつかないところがある。

行ってみたい、見てみたいという思いが募るからだそうです。

好奇心があるかないかで、

年を重ねるにつれて大きく差がつき中高年になってくると中身の濃い差が魅力になるといわれました。

一歩行動することで、う~んと世界が広がるんです。

一回行くごとに、色々な輪が広がっていくので、だから辞められないそうです。 

エレベストは大変汚れており、

捨てられたゴミの山、その中で目に付くのが日本語で書かれた日本製のゴミ、

経済大国となった日本ですが、精神は貧しい国だと言われる。

とくに環境に関する感覚が薄いと言われていると嘆いておられました。

登山家 田部井 淳子 プロフィール

¼̿¿ 1939(昭和14) 1962(昭和37) 1969(昭和44) 1975(昭和50) 1992(平成 4) 2000(平成12) 現在
【略歴】
9月22日、福島県三春町に生まれる
昭和女子大 英米文学科卒業
社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ
『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀クラブを設立
エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、中国名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功
女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる
3月、九州大学大学院 比較社会文化研究科 修士課程 修了
(研究テーマ:エベレストのゴミ問題)
年5~6回海外登山に出かけ、現在60か国の最高峰・最高地点を登頂。(海外の登山歴印)
NPO法人日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト代表。
NPO法人日本トレッキング協会会長。
『田部井淳子の実践エイジング登山 いつでも山を』『山で元気に! 田部井淳子の登山入門』(NHK『趣味悠々』テキスト)『怖いもの知らずの女たち』(吉永みち子氏著)(関連本)『山からの贈り物』『高いところが好き~最高峰に魅せられて~』『山を楽しむ』『はじめての山歩き』『エベレスト・ママさん』『エプロンはずして夢の山』
【著書および関連本】
小学館2008年
NHK出版2009年
山と渓谷社2009年
角川学芸出版2007年
小学館文庫2007年
岩波新書2002年
文化出版局2002年
山と渓谷社2000年
東京新聞出版局1996年
1975(昭和50) 1987(昭和62) 1988(昭和63) 1992(平成4) 1995(平成7) 2004(平成16) 2006(平成18) 2007(平成19) 2008(平成20) 2009(平成21) このほか
【受賞歴など】
ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ大賞、朝日体育賞(現在朝日スポーツ賞)
チェコの天文学者Antonin MrkosがKlet展望台で小惑星を発見。エベレストの女性初の登頂に成功した日本の登山家、田部井淳子に因んでその小惑星の名を「6897Tabei」と命名した
福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞
文部省スポーツ功労賞(2度目)
内閣総理大臣賞
飛行家・探検家顕彰地球儀the Fliers' &Explorers' Globe(アメリカ地理学協会所有)への71番目の署名者となる。この地球儀は、世界で初めての飛行や冒険・探検を成し遂げた人々が署名している地球儀で、南極探検のスコットやアムンゼン、それにヒラリーさんも署名している。日本人では唯一の署名者となった。
(財)ソロプチミスト日本財団千嘉代子賞
環境大臣賞(環境保全功労者表彰)、野外教育功労賞(日本野外教育学会)
2008 Mountain Hero Award(ワシントンにあるThe Mountain Instituteより受賞)
日本放送協会(NHK)放送文化賞
ビッグスポーツ大賞(テレビ朝日主催)、日本フェアプレー賞

2011年06月03日

世界で初めてエベレストを征服した女性は「日本人」であった。田部井淳子の偉業。

「田部井淳子(たべい・じゅんこ)」

山好きにとって、この名は燦然(さんぜん)と輝いて響く。

世界最高峰、エベレストに挑戦し、「女性」として、世界で初めてエベレストの頂に立った女性である。

今から36年前、1975年の快挙であった。




エベレストに登るには、個人の力量もさることながら、びっくりするほどの「お金」が必要である。

当時の女性の初任給は「4万円」。登山に要した費用は、その1,000倍以上、「4,300万円」。

車のシートを切って、自作「手袋」をつくるほどの節約を強いられた。

世界初の快挙を成し遂げた女性登山隊は、世界一の「貧乏」登山隊でもあったのだ。



血のにじむような4年間の準備期間。

ようやく一行は、ヒマラヤのベースキャンプにたどり着く。

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転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」


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